世界レンズ遺産
19世紀後半から写真技術の発展と供に急激な進化を遂げた光学技術により、この世界に多種多様なレンズが生み出されてきました。
有名無名の光学設計者達が、その人生を捧げ研鑽したレンズに改めて光を当て、その輝きを顧みるのが連載「世界レンズ遺産」シリーズです。
本日も光学設計のプロ「高山仁」がご案内いたします。
新刊
本日のレンズ
さて、本日ご紹介するレンズは、Cooke Triplet (トリプレット)です。
Tripletは、Cookeなるブランドから発売されたそうですが、これは望遠鏡メーカーの一部で後にCooke Optics社として1896年独立しました。
なお、Cooke社は映画撮影用のレンズメーカーとして現代にも残っています。
Triplet (トリプレット)は、その名の通りわずか3枚のレンズで構成されていますが、基本的な諸収差がある程度コントールできる最小の構成であるとされています。
レンズの技術的な発展の歴史から見ると、4枚構成のレンズが先に発達しました。
上図は、Triplet登場前に普及していた4枚構成の対称型の「Rapid Rectilinear」(ラピッド-レクチリニア)の特許文献US180957です。
また、Petzval Portrait(1840年)という4枚構成で、像側の貼り合わせを分離したタイプの登場も早く、レンズとしても有名です。
このような4枚構成タイプが先に普及した背景として、恐らくは望遠鏡などに使われるレンズを2組並べると写真レンズに使える!そんな発見から始まったからだろうと想像できます。
同じ構成のレンズを並べれば良いので、製造上のメリットも大きかったのではないでしょうか。
その後、さらなる簡素化を進め1893年に開発されたのがTripletで、発明から150年ほど経過した現代でも、監視カメラなどの小型で簡素化された映像システムが要望されるジャンルでは基本構成として採用されることもあります。
本日は簡素・簡潔を体現したTriplet 100mm F4をご紹介しましょう。
注:焦点距離はわかりやすいように35mm版換算値としています。
文献
Tripletは、イギリスの光学設計者H.D.TAYLORにより発明されました。
なお、レンズの歴史でややこしく勘違いが起きやすいのは、Tripletを発明した「TAYLOR(テイラー)博士」と、初期のダブルガウスレンズを開発したメーカーの「Taylor Hobson(テイラー社)」は別なのでご注意ください。
TAYLOR(テイラー)博士がCooke社に在職中に発案し遺した文献(GB189322607)をご紹介しましょう。
赤ラインを引いているのは執筆者でHarold Dennis TAYLOR博士の名前が記載されています。
青ラインを引いている箇所は、タイトルで「A Simplified Form and Improved Type of Photographic Lens.(簡素化かつ改良された写真レンズ)」とそのものズバリな内容です。
単に「 Photographic Lens」みたいなシンプルなタイトルを付ける方も多いので、TAYLOR博士の実直さがうかがえますね。
レンズの概要
文献に記載されたレンズの構成図を確認してみましょう。
文献にはいくつかの設計事例が記載されていますが、最もシンプルな実施例1のTripletを引用しました。
その名の通り3枚で構成され、第1レンズと第3レンズは同じレンズで、ひっくり返して配置しています。
要は凸レンズ1種、凹レンズ1種を作り、組み立てれば良いのでレンズを製造する手間がひとつ減ります。
ここで、現代でもTriplet型が開発されている事例として、Largen Precision社の2011年出願の特許文献を事例として紹介します。
上図は、US8077400より引用させていただいたものです。
3枚のレンズが全て非球面レンズであるため見た目に違和感がありますが、凸凹凸の3枚のレンズが元になったTripletの発展型と言えるレンズです。(最も像側の平板50は撮像素子の保護板)
この会社は、iPhoneのレンズを開発していることでも有名ですね。
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初期のiPhoneなどに採用されていたのでしょうか?
検証
特許文献に記載された実施例から再現してみました。
光路図
上図は復元したTriplet 100mm F4.0の光路図です。
文献には明確な画角などの情報が記載されていませんでしたので、収差量などをから推定して仕様を決め再現しています。
3枚のレンズが、凹レンズを中心に対称に配置されています。
対称配置型の光学系は、少ない枚数で諸収差が良好に補正できるとして有名ですが、3枚構成の場合は「絞りが中心に無い」ため厳密には「対称型ではない」という分類をする場合もあります。
収差図
Tripletは、諸収差の補正に優れると言えど、特に像面湾曲のサジタル方向とタンジェンシャル方向の差(アス)が補正できないのがTriplet型の欠点です。
実写するといわゆるペッツバールボケ(グルグルボケ)という渦を巻くような現象が発生します。
これは当時のレンズとしては非常に明るいF4.0の状態での性能です。
当時は、もっと絞り込んで長時間露光することで解像度を確保していたはずですから、F8やF11ぐらいが実際につかわれた状態だったのでしょう。
終わりに
「シンプル」を突き詰めると、それは完成された美に繋がる。
これはあらゆる世界に相通じる不思議な理念でありますが、レンズ世界でも通用することがわかる好例がTripletであると言えるでしょう。
そして、100年を超え人類の発展を支える素晴らしい発明に感謝し、これこそぜひ世界レンズ遺産に推薦したい逸品ですね。