日本で最初に実務運用を開始したコンピュータは、何を目的として開発されたのかご存じですか?
そのコンピュータFUJIC(フジック)は「写真用レンズを設計するため」に民間企業で開発され運用が開始されました。
現代、FUJICは情報処理技術遺産として「国産で初稼働コンピュータ」に認定され国立科学博物館で展示されています。
普段の当ブログ「レンズレビュー」は、設計のプロが写真レンズをつぶさに分析するブログですが、今回は特別編としてレンズ設計とコンピュータの関係を写真で辿ってみましょう。
なお撮影は、NIKON Z fとNIKKOR Z MC 105mm F2.8S 、40mm F2.0で撮影しておりますので、それぞれの分析記事も合わせてお読みください。
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レンズ設計
突然ですが、世の中には「設計」と名前の付く職業がたくさんありますよね。
機械設計、電気設計、配管設計、色彩設計、人生設計…
その中でも「レンズを設計する仕事」があることをご存じでしょうか?
現代人と切り離せないカメラの「レンズを設計する仕事」があるのです。
まずレンズと聞くと「虫眼鏡のようなレンズが1枚入っている」と思う方が普通ですよね。
「はて?そんな簡単な物を設計するほどでもないのでは?」普通の人はそう思います。
ところがなんと、写真用のレンズの中には驚くような枚数のレンズが詰め込まれているのです。
例えば、ほとんどの地球人が持っていると言っても過言ではなくなった、携帯電話やスマートフォンにもカメラが搭載されています。
スマートフォンに内蔵されたカメラのレンズにも米つぶほどの極小レンズが5枚~7枚ほど入っています。
参考に、下図がスマートフォンのレンズの光路図(横から見た断面)です。
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この絵では大きく見えますが、実際のレンズの口径はφ2mmほどで6枚の非球面レンズで構成されています。
全体の厚みは10mmもありません。これがあなたのポケットにも入っているのです。
さらに、最新のミラーレス一眼カメラ用のレンズともなれば、20枚ほどのレンズで構成されるのも普通の事で、さらに内部では複雑怪奇に動いています。
下図は、NIKONのミレーレス一眼用のズームレンズが、広角撮影から望遠撮影へズーミング移動する様子の模式図です。
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ズーミングで内部のレンズがバラバラに動きますし、ピント合わせ(フォーカス)の際も2つのレンズユニットが独立して超高速で移動し、被写体の位置を見極めシンクロしてピントを合わせるのです。
この作動時、動画撮影時の音声情報に干渉しないよう超静粛に駆動するため、内部でこんなにも動いていることを察知させません。
驚異的な技術です。
さらに、レンズの設計を具体的に紹介しましょう。
まず最初はレンズの形状の定義からです。
1枚ずつのレンズは、表面のカーブ(曲率)、厚み、裏面のカーブの形状要素と、ガラスの材質により定義されます。
下図は、レンズ形状の要素を示した図です。
このように形が定義されたレンズを多いものでは20枚も組み合わせ、レンズ全体の構成を決定します。
続いてはレンズの性能評価です。
構成されたレンズにより決定される「光が通過する経路」を計算します。これを光線追跡と言います。
光線追跡の結果から焦点での収束具合(ズレ)を分析し、所望の性能であるのか確認します。
このレンズの性能指標は「収差」と言われ、さらに詳しくはいくつかに分類されます。
代表的な物に球面収差や像面湾曲、歪曲収差などありますが、この名前を知っている方も多いのではないでしょうか?
下図は左から球面収差、像面湾曲、歪曲収差の実際のグラフです。
ここで一時的に現在の性能がわかりましたが、レンズの形状を変更しては、評価計算を繰り返すことで、少しずつ性能を改善させ、目標とする性能へ近づけます。
この行為がすなわち「レンズの設計」の仕事となるのです。
この時、レンズの形状を決める表面のカーブは0.01mmほどの間隔、厚みは0.1mmほどの間隔で指定する必要があり、材料は100種以上の中から選択するので、これがレンズ枚数分で組み合わさるので膨大です。
さらに計算精度は、少なくとも小数点以下5桁は必要となりますから、超高精度な計算が要求されます。
この計算を繰り返しながら少しづつレンズ性能を改善することを「レンズの最適化」と言います。
さて、レンズの設計には膨大で緻密な繰り返し計算が必要であることが、なんとなくご理解いただけたでしょうか?
この繰り返し計算を自動化するために「コンピュータを開発しよう」と考えた日本人がいたのです。
コンピュータ登場前のレンズ設計
コンピュータが民間企業で利用できるようになるのは、早い企業でも1970年代以降のことです。
それ以前はどうしていたのでしょうか?
それ以前は、人力を駆使して膨大な計算作業を行っていたと聞きます。
レンズ設計者は、コンピュータの代わりに多いと10人程にもなる計算手を束ねて計算作業を指揮していたのです。
計算手はいわゆるソロバン名人のような計算の達人で、二人一組で検算をしながら計算業務を遂行していました。
レンズ設計者が、新しいレンズの構成を考案すると計算手が手分けして光線追跡や収差量の算出といった諸量を算出し分析を行います。
結果を元に新たな解を求めて検討を繰り返す、これを来る日も来る日も続けるのです。
1本のレンズが完成するまで、長い場合には数年かかったとも言われます。
また、近代的なレンズ設計理論である松居吉哉氏の収差論が普及するのは1970年代以降ですから、コンピュータも無く設計理論も各社独自の世界で設計されていたので、1960年代以前のレンズは独創的な物が多いのが面白いところです。
ちなみに、計算手には女性が多く「レンズ設計者はとてもモテた」そんな都市伝説を聞いたことがあります。
しかい、女性が多い職場は気苦労が絶え無いでしょうから、あまり体験したく無い気もしますね…
日本初のコンピュータ FUJIC
さてここで、ようやく日本初の実務運用が開始されたコンピュータFUJIC(フジック)のお話です。
まず、この名前を聞いてカメラファンの方ならピンと来るかもしれませんね。
FUJICは現在もカメラ製造を続ける名門企業の一つ「富士フィルム」が開発したのです。
当時、富士フィルムに所属していた岡崎文次氏が一人のお手伝いの女性と、わずか二人でしかも期間にして7年ほどで開発・建造したそうです。
当時のコンピュータ開発とは国家規模での一大プロジェクトですが、なんとこれを実質的に個人で先行して開発し実用化へこぎつけたのです。
現代に置き換えると、個人で生成系AI(例えばCaht GPT)を作り上げたぐらいのインパクトでしょうか?
あまりの偉業に言葉を失います。
データやプログラムの入力装置や記録メディアなど周辺機器も手作りし、出力に印刷機やブラウン管ディスプレイを備えるなど現代的なコンピュータの基本的な構成も先取りしています。
しかし、FUJICの稼働は2年ほどで終了し、日の目を見ることなくいつしか国立科学博物館へ寄贈されたと言います。
私自身は、FUJICについては若いころから伝え聞いていたのですが、実物を見る機会には恵まれず、今回ようやく訪れることができました。
上野 国立科学博物館へ
開発当時はあまり注目されなかったFUJICですが、現代でも当時のままに上野公園内にある国立科学博物館で展示されています。
それでは早速、参りましょう。科学博物館は上野駅を出て徒歩5分ほど到着します。
私が訪問した日は、悪天候の日曜の昼だったためか、館内は猛烈な数の親子で埋め尽くされていました。
思うに、好天なら上野動物園へ行こうと想定していた親子が、悪天候のため科学博物館へ避難しているのでしょう…
なお、館内の事前情報は仕入れずに訪れたので、あまりの混雑にFUJICが見つかるか少々心配だったのですが、運命の導きというものなんでしょう、入場からわずか5分ほどでFUJICの前に立っておりました。
館内は超満員の中なのによほど人気が無いのか、まるで何かの奇跡のようにFUJICの周辺には人がいません。
きっと、私が訪れるのがわかっていたのでしょう、じっくりと撮影させていただきました。
この科学博物館は、ほとんどの場所で撮影は可、写真の投稿・掲載もOKと公式ツイートが言っておりますので、写真を公開させていただきます。
下記が公式ツイートの内容です。
なお、2回ほど科学博物館に掲載許諾をいただけるか問い合わせのメールをいたしましたが、お忙しいようでご返答いただけませんでした。
もし問題があればご連絡ください。
科学博物館内の地球館3FにFUJICが安置されています。
こちらがFUJICの全景です。手前の青いパネルは説明用のモニタですからご注意ください。
全景の右手側、つぶつぶとして見えるのが本体です。
以下の撮影はNIKON Z fとNIKKOR Z MC 105mm F2.8で行っております。
とても神々しいですね。
本体の前に賽銭箱を設置すべきではないか、と思いました。
このつぶつぶと見えるのは真空管で、現代の半導体IC回路をアナログ的に構成したものです。
さらに真空管部を拡大します。
FUJICに1700本ほど使われている真空管は使用可能時間が短く、一日に2~3本は寿命となり交換が必要だったそうです。
全景左側にはFUJICの創造主たる岡崎文次氏を模したと思われる銅像を鎮座させた制御部があります。
手元に紙を持っているのですが、残念ながら白紙でした。
「レンズの設計値表でも持たせれば良いのに…」と、思わず寄贈したくなりました。
FUJICには機械式のタイプライター出力があったそうなので、これを再現できるようなタイプライター風フォントがあると良いのですが。
さらに、手元の制御部分も当時のままだと思われますが、これが神田須田町の露店で買った汎用品で作られているとは思えませんね。
このFUJICにより、レンズに関する計算速度はなんと2000倍に高速化されたとされ、計算手の仕事が無くなると労働組合が心配したと聞きます。
時代は繰り返すもので、現在の生成系AIの登場とその騒動にも重なりますね。
その他、FUJICの周辺は昔の計算機類がいくつか展示されています。
電卓の先祖とも言いますか、機械式の計算器も展示されていました。
この計算器は手でハンドルを回して動作させるもので、歯車などの機械的な仕組みにより計算を行う機械です。
機械式計算器の最も有名な商品は「タイガー式計算器」で、1960年代まで広く使われていたと聞きます。
さすがに私も自分で使ったことは無いのですが、当時の小説などの一文に「ガリガリと計算器の音が響いた」などの表現を見かけますね。
さて、目的は達しましたので帰宅しましょう。
改めてFUJICを目の当たりにし、思うことは岡崎文次氏の偉業に対する「あまりの評価の低さ」でしょうか。
カメラやレンズは、現在でも日本が世界に誇る最先端技術の製品で重要な輸出品です。
この発展に大きく寄与したのですから、紫綬褒章の3個ぐらいもらっても当然ではないかと思ってしまいます。
また、開発元となった富士フィルムもFUJICを早々に手放してしまいました。
日本初稼働のFUJICは当時世界でも先端クラスでしたから、この技術を発展させればIBMやAPPLEのようなコンピュータ企業へ成長する道もあったかもしれません。
事業の先を見通すのは難しいものですね。
コンピュータとレンズの設計
その後のコンピュータの発展についての話を少し加えて終えましょう。
1980年代ともなると家庭にもマイコンが普及する時代、企業ではコンピュータによる設計が当然となるのですが、国立天文台のOBの方の手記を読むと、コンピュータが登場してもまだまだ苦労の絶えない時代だったようです。
1990年代にはレンズ設計ソフトも多くの会社から市販されるようになり、とても身近なものになりました。
ご存じの通り、コンピュータの進化は留まるところを知らず、現代ならノートパソコンでもFUJICの計算速度の数万倍の処理が可能となっているでしょう。
この進化は、結果としてスマートフォンのレンズのような、非球面レンズを多用した複雑怪奇で極小サイズのレンズまでも生み出し、実用化するに至りました。
しかしながら、現在でもよく言われることですが「高いセンスと鋭いひらめき」がなければ良いレンズの設計はできません。
これは迷信ではなく、レンズの設計をする者は誰もが感じる事で、いまだにコンピュータへ目標値を入れるだけは、まったく良い設計値にならないのです。
良いレンズを設計するためには、経験による深い洞察力、成功を信じる強い信念、世間の要求に耐える忍耐力が必要なのです。
また一方で、1960年代以前となるコンピュータ登場前のレンズも「味がある」と、楽しまれる方がたくさんいるのもレンズの奥深き世界ですね。
それでは最後に似た話で、昔の記録メディアを回想する記事もいかがでしょうか?
関連記事:我が青春の記録メディア
<おまけ>
なんとFUJICの話を元に創作された漫画があるそうです。
外部リンク:続く道 花の跡