この記事では、ニコンのフルサイズミラーレス用の交換レンズである超大口径中望遠レンズNIKKOR Z 135mm F1.8 S Plenaの設計性能を徹底分析します。
さて、写真やカメラが趣味の方でも、レンズの仕組みや性能の違いがよくわからないと感じませんか?
当ブログでは、光学エンジニアでいわゆるレンズのプロである私(高山仁)が、レンズの時代背景や特許情報から設計値を推定し、知られざる真の光学性能をやさしく紹介します。
当記事をお読みいただくと、あなたの人生におけるパートナーとなるような、究極の1本が見つかるかもしれません。
新刊
レンズの概要
NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plenaは、NIKONがおよそ30年ぶりに新規に発売した焦点距離135mm仕様のレンズで、Fnoもかつてない超大口径F1.8の初仕様レンズとなっています。
NIKONの焦点距離135mmレンズの歴史については、DC NIKKOR 135mm F2の分析記事でも触れておりますので、合わせてご覧ください。
関連記事:NIKON Ai AF DC NIKKOR 135mm F2S Part1:収差編
手短にNIKONの135mmレンズをまとめますと、NIKKOR創成期から存在した伝統の135mmレンズは、1991年に発売されたAi AF DC NIKKOR 135mm F2Sで新規開発された光学系を最後におよそ30年も更新されず途絶えていました。
そして時は流れ2023年、ミラーレス一眼システムであるZマウントの隆盛と供に再臨したのが今回分析するNIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plenaとなります。
「二つ名」を持つレンズ
NIKONの極一部のレンズには、独自の「二つ名」を持つレンズが存在します。
ひとつは「Noct(ノクト)」で、近年ならNIKKOR Z 58mm F0.95に名付けられており、かつて70年代のNIKKORレンズにも採用された伝統の二つ名で、超大口径レンズに与えられたものです。
NOCTは、「夜」を意味する英語の「Nocturne(夜想曲)」に由来し、薄明りの中でもしっかりと撮影できる超大口径レンズを連想させる名で、現代でも似た雰囲気の名を採用する他のメーカーもありますね。
現代人にはいまひとつピンと来ないかもしれませんが、フィルムカメラの勃興期はまだISO感度が100ほどしかなく、昼間の室内ならノーフラッシュで撮影することさえ少々難しい時代ですから、超大口径レンズが何に代えても求められていたのです。
※正確には当時の感度はASA表記
薄明りでも撮影できるF1.2の超大口径レンズならば特別な「二つ名」を与えたくなるものだったのです。
一方、今回のレンズには「Plena(プレナ)」の名があたえられています。
Plenaは、「満ちている・あふれるばかりの」といった意味で、空間が満たされているという意味を持つ“Plenum”に由来し、満潮時の海の輝き、人の心が満たされている様子、創造力が溢れてくる様子を連想させる言葉だそうです。
この言葉選びの発想力が伝統の光学メーカーらしく、すでに名前だけで「美」を感じさせますね。
レンズにこのような美しい名を付ける意図は、「このレンズによって光に満ち溢れる美しい世界を写真に遺してほしい」そんな願いが込められていることなのでしょう。
それでは「光に満ち溢れる世界」そんな美しい名を与えられたレンズの真意を読み解いて参りましょう。
なお、今回の記事は前後編の構成で、本記事は前半部である収差分析編となっています。
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文献調査
このレンズが発売されたのが2023年の秋で、関係する特許文献が公開されるのはおよそ半年から1年後のパターンが多くいつの事かと首を長くして待っておりました。
ついに2024年7月11日付で関係する特許文献であるWO2024/147268が公開され、実施例1があきらかに製品に近い形状ですからこれを製品化したと仮定し、設計データを以下に再現してみます。
!注意事項!
以下の設計値などと称する値は適当な特許文献などからカンで選び再現した物で、実際の製品と一致するものではありません。当然、データ類は保証されるものでもなく、本データを使って発生したあらゆる事故や損害に対して私は責任を負いません。
設計値の推測と分析
性能評価の内容などについて簡単にまとめた記事は以下のリンク先を参照ください。
光路図
上図がNIKON NIKKOR Z 135mm F1.8 S Plenaの光路図になります。
レンズの構成は14群16枚、球面収差の補正に効果的な非球面レンズが1枚、色収差の補正に効果的なSRレンズが1枚とEDレンズが4枚も採用されています。
中望遠レンズはエルノスタータイプの発展型が定番で、ほんのりとその香りを残しますがとてつもないレンズ枚数に圧倒されますね。
当ブログが独自開発し無料配布しておりますレンズ図描画アプリ「drawLens」を使い、構造をさらにわかりやすく描画してみましょう。
緑に示すSRレンズは、2020年に「AF-S NIKKOR 120-300mm f/2.8E FL ED SR VR」に搭載される形で初めて登場した材料です。
SRレンズは短波長(青い色の光)の補正に効果的な材料で、このレンズでは巨大な前玉に採用し、さらに続く第2レンズ以降の3枚ものEDレンズを組合わせることで究極的な色収差の補正を実現するものと”見るだけで”わかります。
NIKONというメーカーは、現代では珍しく自社グループ内でガラスの溶解生産を行っており、実際の製造販売はグループ企業の光ガラス社が担当しています。
ここで光ガラス社の材料表(ガラスマップ)を引用させていただきながら、NIKONの使用している特殊ガラス材料の位置を確認してみましょう。
上の図は一般にガラスマップと言われるガラスの特性表で、縦軸に光を曲げる強度である屈折率、横軸に光の色ごとの曲がりやすさ分散を軸にとり、表中の点の場所に材料が存在することを示しています。
表の点を数えていませんが、同じ位置に複数の材料があったりもするので光ガラス社の材料だけでもトータル100種ほどあるでしょうか。
ここで、表中の「ED」などの文字は私が追記したものです。
古くから色収差の補正に使われてきた特殊低分散材料EDレンズやSuperEDレンズは、表の左下にある材料です。
また、Fluorite(蛍石)は、主に超望遠レンズに使われる結晶材料です。
2020年に登場したSRレンズは、Short-wavelength Refractiveの略称で、表ではEDレンズの反対位置となる右側隅にあるようで、EDレンズとも異なる特殊効果を発揮するのも納得ですね。
なお、全ての配置は私の過去の研究成果から推測したもので、NIKONは一切の公式発表しておりませんのでご注意ください。
続いて、フォーカシング(ピント合わせ)も確認します。
このレンズのフォーカシングは、2つの群を独立制御するフローティングフォーカスを採用しており、NIKONではマルチフォーカス機構と呼びます。
複数のレンズユニットを動かすことで、近接撮影時の性能変化を抑制したり、アクチュエーターの負荷を分散することで滑らかな動画撮影を実現します。
縦収差
球面収差 軸上色収差
画面中心の解像度、ボケ味の指標である球面収差から見てみましょう、基準光線であるd線(黄色)を見ると、なんのためらいも無く直線で球面収差はゼロですね。
SIGMAのArtシリーズの135mm F1.8が登場したころから、大口径中望遠レンズには収差とういうものがまったく許容されない恐ろしい世界になりました。
さらにSIGMAのArtレンズよりも磨きがかかっているようで、しかも製品重量はNIKONの方が2割以上も軽量なのが素晴らしい進歩です。
画面の中心の色にじみを表す軸上色収差も全くないレベルで抑えられています。
像面湾曲
画面全域の平坦度の指標の像面湾曲も全くないのでコメントは差し控えましょう。
歪曲収差
画面全域の歪みの指標の歪曲収差は、中望遠レンズの宿命か、わずかにプラス側に倒れる糸巻き型に収差が残りますが、十分高性能な範囲ですし、画像処理による補正がかかるとまったく感じられることは無いでしょう。
倍率色収差
画面全域の色にじみの指標の倍率色収差は、画像処理での補正が容易な収差で、あえて画像処理に頼る製品も増えている中、ほぼゼロに補正されています。
基本的に画像処理に頼る気が無いんでしょうね。光学メーカーとしての矜持というものでしょうか。
横収差
画面内の代表ポイントでの光線の収束具合の指標の横収差として見てみましょう。
左列タンジェンシャル方向、右列サジタル方向のどちらも収差が少ないことはすでに当たり前みたいな状況ですが、この横収差を見るとNIKKOR Z 135mm F1.8 Plenaの秘密の一端が垣間見えてくるのがおわかりででしょうか?
横収差のグラフは、上段ほど画面の周辺部の特性を示すのですが、一般的に上段に行くほどグラフの横軸方向(幅方向)が小さくなります。
これは口径食と言われる周辺部の光量低下が収差図に現れているのですが、このレンズは光量低下がとても小さいようです。
なぜそのような特性を目指したのか?
そんな、このレンズの核心的部分については後半部である次回「Plena編」でより詳しくご紹介する予定です。
執筆後追記:第2部「Plena編」を執筆しました。
新発売
スポットダイアグラム
スポットスケール±0.3(標準)
ここからは光学シミュレーション結果となりますが、画面内の代表ポイントでの光線の実際の振る舞いを示すスポットダイアグラムから見てみましょう。
中望遠ながらF1.8の超大口径レンズとは思えないあまりに少ない収差量のため、標準スケールではよくわかりませんね…
スポットスケール±0.1(詳細)
さらにスケールを変更し、拡大表示したスポットダイアグラムです。
拡大してもピントのあっている中央列は周辺部までほとんどスポットサイズが変わりません。
また、特筆すべきは画面の周辺部の像高18mmあたりまでだいぶまるみを維持している点です。
一般的な他社のレンズなどですともっと「ひし形」みたいな形になります。
MTF
開放絞りF1.8
最後に、画面内の代表ポイントでの解像性能を点数化したMTFによるシミュレーションの結果を確認してみましょう。
開放絞りでのMTF特性図で画面中心部の性能を示す青線のグラフを見ると天井に張り付かんばかりの素晴らしい高さで、周辺までほとんど均一です。
小絞りF4.0
FnoをF4まで絞り込んだ小絞りの状態でのMTFを確認しましょう。一般的には、絞り込むことで収差がカットされ解像度は改善します。
このレンズを絞って使うことになんの価値があるのか、いまひとつ私には理解できませんが、NDフィルターを忘れた時とかでしょうかね?そんな緊急時ぐらいでしょう。
総評
さて、前半部である収差分析編はいつもの分析フォーマットで基本的な性能の確認を行いました。
しかし、本文中でも少し触れましたが、当レンズの核心的部分はほとんど紹介できていません。
「光に満ち溢れる世界」を撮影することを願い開発された当レンズの真意は、次回「Plena編」で解説予定です。
執筆後追記:第2部「Plena編」を執筆しました。
以上でこのレンズの分析を終わりますが、最後にあなたの生涯における運命の1本に出会えますことをお祈り申し上げます。
LENS Review 高山仁
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製品仕様表
製品仕様一覧表 NIKON NIKKOR Z 135mm F1.8 S Plena
画角 | 18.1度 |
レンズ構成 | 14群16枚 |
最小絞り | F16 |
最短撮影距離 | 0.82m |
フィルタ径 | 82mm |
全長 | 139.5mm |
最大径 | 98mm |
重量 | 995g |
発売日 | 2023年10月13日 |